【骨肉腫の闘病記:5】腫瘍と筋肉の切除手術成功、障がい者になった
私はかつて小児がんの一種である骨肉腫という稀な病気にかかりました。脚に障害は残りましたが克服し現在は元気に暮らしています。
今回は、人工関節置換手術について。
【骨肉腫の闘病記:1】ひざに痛みを感じ始めてから骨肉腫だとわかるまで
障がい者になった。本当に辛いのはオペをしてからだった
オペをする頃は入院して5ヶ月ほど経っていたので、先生や看護師さん、同じ病棟で一緒に闘病している友達もでき、治療自体はつらいのだけど楽しくわいわい過ごしていました。
オペで大きな腫瘍を取ってもらい、人工関節が入った。
身体障がい者になった。ひざが全然曲がらなくなって、筋肉もごっそり取られて松葉杖がないと歩けなくなった・・・
なぜか、周りのみんなともう自分は違うんだ、もう前の自分には戻れないんだ。という気持ちを抱くようになりました。
傷口も大きく、初めは見るのも怖いぐらいで、、
手術後、落ち着いた頃いつものように一時退院をしました。
家に帰りましたが 脚も思うように動かず、二階建ての自宅は生活もしづらく、家での生活が怖くなってしまいました。
周りと比べての自分の状況を悲観して、暗い気持ちになっていった時期でした。
どんどんきつくなっていく抗がん剤治療
手術を終え、残るは術後の抗がん剤治療6回。
だんだんと体力も、骨髄も弱ってきます。
私は副作用がかなり強く出るほうだったので、1日に20回以上も嘔吐しました。何も食べられずに嘔吐するのでもう胃液しか出ない日々。
吐き過ぎで腹筋が筋肉痛になりました。
吐き気、倦怠感、頭痛、、、身の置き所がなくベッドの上でもだえるだけ。
本当に本当につらかったし、いまだに忘れることができません。
白血球の数値も簡単に1000を切るようになり、予定量の抗がん剤を投与できないこともありました。
感染予防のために食べるもの、会う人にも制限がかかり、トイレへ行くことも許されませんでした。
闘病仲間がいたから、過酷だったけどがんばれた
つらいことばかり書いていますが、実は病院での日々は楽しかったんです。
副作用が落ち着き、体調の良い時は外出許可をもらってラーメンを食べに行ったり、主治医の先生と遊んだり、夜中まで友達と話していたり。
普通の青春ではなかったけれど、楽しい日々でした。
いま15年経った今も元気に過ごせているのは
どう考えてもこの時
辛いながらも楽しみ、笑いながら闘病生活を送ったからだと思っています。