【骨肉腫の闘病記:4】ついにオペ 腫瘍用人工関節置換手術
私はかつて小児がんの一種である骨肉腫という稀な病気にかかりました。脚に障害は残りましたが克服し現在は元気に暮らしています。
今回は、人工関節置換手術について。
【骨肉腫の闘病記:1】ひざに痛みを感じ始めてから骨肉腫だとわかるまで
術前化学療法を終えて、オペの準備へ
骨肉腫と判明して約4ヶ月で4回の抗がん剤治療が終わりました。大体ひと月に1回のペースでした。この頃はまだまだ序盤で体力も骨髄も元気だったので、予定通りに治療が進みました。
治療の合間に学校にもできるだけ通いました。
でも当時17歳 髪が抜けてウイッグをつけての登校、そして両松葉杖で歩かなければならなかったのは、かなり抵抗がありましたが
友達に助けられて勉強も少しずつすすめていました。
手術の説明
わたしの腫瘍は、初診時幸い他の場所への転移はありませんでしたがひざの腫瘍は大腿骨をはみ出し大きくなっていました。
不調を感じてから半年放置してしまっていたので、そのはずですね。
大きな血管や神経を巻き込んでいたので、抗がん剤の効果によっては大きな障害が残ることも考えられました。
手術前の画像評価ではどうやら効いているよう、とのことでした。
手術によって身体から腫瘍は取り除かれる。だけどもう治ることのない障害を一生負うことになる。骨と筋肉をばっさり取られ、大きな金属が入り、ひざも曲がらなくなる。運動もできなくなるー。
今もカンファレンスルームの空気を覚えています。
主治医はとてもあたたかな雰囲気の先生。優しく説明してくれました。
手術前日
覚悟はできていましたが、ふと しておこうと思ったのが
正座!病院のベッドの上で、もう曲がりにくくはなっていたのだけど正座をしてみました。腫瘍があるので違和感が残るひざ。
人生最後の正座でした。
手術を受ける前、たくさんの友達が会いに来てくれて楽しい時間を過ごしました。
オペの日
早朝から準備をし、来てくれている家族や担任の先生に別れを告げて・・・緑色で冷たい雰囲気の手術室。
先生に任せて眠ります。
朝イチからの手術、目が覚めたのはおそらく消灯後のICU。
その夜は意識もまだ朦朧としていて痛みはあまり感じなかったのですが 身の置き所のないようなのどの渇きと寝返りができない窮屈さでとっても長かったです。
個室へうつる
ICUで一泊し、いつもの病棟の個室へ移りました。
バルーン、背中からモルヒネを入れる硬膜外の管、心電図、点滴いろんなものがまだ取れていなかったのでとても不自由。
身体も満足に動かせない苦痛でかなりストレスがたまっていて、どうしても立ちたい…!動きたい…!と思い
夜中に右足一本で立ちあがってみるという暴挙に出ました。
本当にストレスマックス状態。それで自分でも少しクスッと面白くなってしまい、すっきりしたのでした。
翌朝 先生や看護師さんにバチバチに怒られるのでした。
患肢である左足は順調に経過していました。痛みもさほどひどくはなく(まだ背中からモルヒネを入れ続けていたからです!なければ耐えられない痛みだったのかなぁ)
リハビリの先生と軽い運動をしながら過ごしていました。
術後怖かったのは感染。これが起こると また脚を開けて洗浄やひどければ再置換の可能性もあり 血液検査などでチェックしていましたよ。
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【骨肉腫の闘病記:3】抗がん剤治療スタート
私はかつて小児がんの一種である骨肉腫という稀な病気にかかりました。脚に障害は残りましたが克服し現在は元気に暮らしています。
今回は、術前化学療法について。
【骨肉腫の闘病記:1】ひざに痛みを感じ始めてから骨肉腫だとわかるまで
抗がん剤治療が始まる
2003年1月。初めての抗がん剤治療を行いました。
アドリアマイシンとシスプラチンの最強コンビ。
髪が抜けることが何より怖かった16歳の私は、真っ赤なアドリアマイシンが点滴チューブから身体に流れていくのを見つめて、髪を引っ張って確かめていました。笑
実際脱毛が始まるのは投与から2週間後くらい。先生にも何も聞かされていなかったのですぐ抜けると思っていたんです。
1クール目は1度嘔吐しただけでした。お見舞いに来てくれていた妹と談笑していて急に嘔吐。当時まだ小学生だった妹、つらい思いをさせてしまったなぁと今でも思います。
骨髄抑制もまだそんなにひどくなく、体調も良くなってきたころに脱毛が始まりました。抜けるというより取れるという感覚。長かった髪が抜け、自分が今までの自分でなくなっていく恐怖。
事前に短く切っておかなかったので、後ろでガチガチに絡んで取れなくなった髪を家族に見られないように泣きながら切ったことを思い出します。
4クールの術前化学療法
抗がん剤治療は術前に四回行いました。
1・3クール目 アドリアマイシン+シスプラチン
2・4クール目 イホマイド
薬によって投与日数は違います。2日~7日間かけて薬を投与したのち、1日程度生理食塩水の点滴を続け、身体から抗がん剤を出すよう促します。数日すると骨髄抑制が始まります。
骨髄抑制とは 抗がん剤(化学療法や分子標的薬)治療や放射線治療によって、血液細胞をつくる組織である骨髄の働きが抑制されると、血液細胞を構成する3つの要素である白血球・赤血球・血小板が減少します。 この3つの血液成分が減少することで、それぞれ感染症や貧血、出血といった症状がもたらされます。
白血球や血小板など下がった数値が上がり始めたら普通の生活に戻ります。私含め肉腫の治療をしている人はみんなこの間に一時退院をし、リフレッシュし、まだ次の治療に備えていました。
つらいつらい4ヶ月間、4クールを終えて
ついに腫瘍の切除手術を行います。
【骨肉腫の闘病記:2】生検で骨肉腫と確定
私はかつて小児がんの一種である骨肉腫という稀な病気にかかりました。脚に障害は残りましたが克服し現在は元気に暮らしています。
今回は、生検を受けた頃について。
【骨肉腫の闘病記:1】ひざに痛みを感じ始めてから骨肉腫だとわかるまで
初めて行った病院。そのまま入院…
紹介状をもらったその足で向かった病院。そこで「ほぼ骨肉腫で間違いありません」と告げられます。
そしてそのまま、制服のまま、家に帰ることなく入院となります。
私の場合痛みを感じ始めてから半年以上放置してしまっていたので腫瘍が骨を飛び出し大きくなっていました。
全身の検査もしました。幸いひざ以外には目に見える転移はありませんでした。
ですが、がんの怖いところは検査で何も見つからなくても、目に見えない微小な転移があるかもしれないということ。
きっと当時のわたしの身体もそうだったんじゃないかと思います。
一刻も早く治療を始めなければならない!先生たちのそういう空気をひしひしと感じました。
生検を受ける
そして2003年1月、生検を受けることになりました。
生検とは…「生体検査」の略。病気の診断のために生体の組織片を切り取って顕微鏡などで調べる検査。
各検査の結果、ほぼ骨肉腫で間違いないと診断がついていました。が、実際の細胞を見て100%そうだと確定しなければ治療を始めることができません。
全身麻酔での手術でした。5センチほど切開して腫瘍の一部を取りその場で顕微鏡で調べ迅速診断の結果が出ます。
まだかすかな希望を持っていた私は麻酔からさめ、残念な結果を聞いたショックと傷の痛みとで、この時初めて少し泣きました。
腫瘍は悪性だった・・・
腫瘍は悪性のものでした。そして必要な検査とはいえ腫瘍にメスを入れ一部を切り取っていますので、そこから細胞が飛び散っている恐れもあります。
生検手術の傷が落ち着くとすぐ抗がん剤治療が始まりました。
生検の迅速診断で悪性と出た時点で、抗がん剤治療に使うカテーテルを留置していました。
治療計画はおそらく標準的なもの。
術前化学療法4回→手術→術後化学療法6回 で約1年の治療になると説明を受けました。
この頃、高校2年で青春真っ只中な生活から突然がん患者となり、周りのみんなを見ては取り残された気持ちになり…友達が病院にお見舞いに来てくれる時はなるべく明るく振舞ったりしていたなぁ。
闘病生活通して、友達がたくさん支えてくれました(^^)いまも変わらず仲のいい素敵な友達です。
【骨肉腫の闘病記:1】ひざに痛みを感じ始めてから骨肉腫だとわかるまで
私はかつて小児がんの一種である骨肉腫という稀な病気にかかりました。脚に障害は残りましたが克服し現在は元気に暮らしています。
今回は、骨肉腫と診断されるまでを書いていきますね。
高校生活も2年目となり学校にバイトにとっても楽しかった青春真っ只中。時々、左ひざ少し上あたりにピッ!ピッ!と短い痛みを感じることがありました。
特に気にすることもなく日々過ごし、気が付くと秋頃痛みが増してきます。さすがに気になり、近所の内科/整形外科 両方診ているクリニックを受診しました。
レントゲンも撮影しましたが、残念ながら病気は見つけてもらえず…(骨肉腫発覚後、病院の指示でこのクリニックへレントゲン画像を取りに行きました。この時点でしっかり病変は映っていました)
成長痛じゃないの?と電気であたためられたりしていました。
当然良くなるはずもなくどんどん痛みは悪化していきます。
この頃私の体の中でがん細胞がすごいスピードで増殖していたのですね。とっても怖いことです。
骨肉腫を含め希少がんは症例数があまりに少ないです。
そのため専門医以外の医者には見つけることが難しいのが現実です。私も早い段階で専門医のもとにたどり着いていればもう少し早期発見ができたかもしれません。
少しの痛みに過敏になりすぎる必要はないと思いますが、これはさすがにおかしいと思ったら、迷わず専門医のもとへ行ってほしいと思います。
膝が曲がらない!走れなくなった!
そして冬頃。
一向に良くならない痛みにこれはさすがに何だ…?と思い始めます。夜も痛みが気になり眠れないようになっていましたが、私の場合は激痛とまでは言えませんでした。
学校にも特に支障なく通っていましたが、ひざに何か挟まっているようなツッパリ感と痛みで走ることができなくなっていました。
そしてようやく診断
痛みを感じ始めてから半年ほど。近くの総合病院でMRI検査を受けることになりました。
検査後すぐに呼ばれます。おそらく画像を見た検査技師さんは驚かれていたと思います。
私もその時画像を見ましたが、全く無知な高校生ですら「これは…ただごとじゃない」とわかるぐらい、ひざ周辺がぐちゃぐちゃになっているのがわかりました。
「この病院では治療できません。紹介状を書くのでここへ行ってください」と言われ、がん専門病院へ行くように言われます。
母とぼう然とし、その足で向かいました。
MRI検査の後学校へ行くつもりだったので制服のまま行ったことを鮮明に思い出します。
がん専門病院にて告知を受ける
MRI検査結果を持ってがん専門病院へ。
ここに紹介されたということ、事前にネットで調べていたこと、さっきみた自分のひざの中の様子…すべてがつながり生きた心地がしていませんでした。
血液検査などを済ませ 担当の先生がすぐ診察室に呼んでくれ、検査の内容に目を通し、
「おそらく骨肉腫で間違いありません」と告げました。
それまで健康に育ってきた私は、16歳でがんになったというあまりの出来事に理解がついていかない一方、冷静に受け止めていました。この告知の時も、治療中も含めて 私は泣いて取り乱したりすることは一度もなかったです。
我ながらめっちゃえらかったな~と!若かったのに、我が精神力すごい。
そして私の人生をまるで変える 1年にわたる闘病生活が始まることになります。
〈レビュー〉電動鼻吸機『メルシーポット』は効果抜群!
最近買ってよかったと心から思うもの。
ででん!電動鼻水吸引機『メルシーポット』!
3人目にしてこれを買うなんて・・・くやしい・・・
と思いつつ買ってやりました!
お子さん、赤ちゃんの鼻水で困っている方 ぜひ参考にしてください。
ベビースマイル 電動鼻水吸引機 メルシーポット S-503
2017年発売のNEWモデルです!
長女、次女の時は口で吸うタイプのものを使っていました。
耳鼻科にもしょっちゅう連れて行き吸引してもらっていました。
子育てするまで知らなかった こんなに鼻水が強敵とは。
鼻水がのどに流れて後鼻漏となり、咳が出て夜も眠りにくくなります。
サイズ感
こんな感じ!片手でもらくらくだよ!
お手入れ部分
鼻水を吸いためる部分を開けると
外せる部分は色々あるのですが、日々のお手入れは白いカップと吸引チューブの中にさっと水を通しておけば問題ないよ!
おすすめポイント☆ベビちゃんクリップ
他にはないメルシーポットの強みはコレ!
チューブについているクリップを使うとパワーをためてパワフル吸引!奥の副鼻腔にたまったネバネバ鼻水も「ジュゴッ!」と吸い取ってくれるんですー。
他にはどんな鼻吸機がある?
お口で吸うタイプ「ママ鼻水トッテ」
このタイプを5年くらい使っていました。とにかく吸うのが大変です。酸欠になるかってぐらいです。鼻水はあんまり取れませんでした。耳鼻科の先生には 『鼻水にはウイルスがたくさんあるから、それを吸うとママにも風邪がうつるからおすすめしないよー』といつも言われていました。
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